やり方も、目指す方法も、そしてなりたい姿も、だれもが違っているのに、おんなじ方法を試そうとする必要はない。
ただ一つ、今自分が体験してきて言えるのは、「どうなるか、どうするかはよくわかっていないけど、とにかく最高の人生を生きて、死ぬときに『最高の人生だった~』と言える生き方をする」、と決めたところから、私の人生は大きく舵を切っていったということ。
そして今も道半ばでありながら、今年の頭には影も形もなかったほたる座が、8月11日にはオープンしたという状況を考えると、ちょっとこのタイミングで、なぜここに至ったのかを書き記しておくのがいいのでは!と、2024年9月22日秋分の日に思い至り、今ここに書き始めています。長くなりそうなので、ちょっとずつ更新していきます(^^)/
「ほたる座」とは、こちらから♪
- ・未来からのお知らせを信じてみる(2024年9月22日更新)
- ・脱・優等生のススメ(2024年9月23日更新)
- ・ちょっとここで、以前の私のプロフィール(2024年9月23日更新)
- ・書いた結果は、なんとミュージカル?!(2024年9月24日更新)
- ・オーディションから配役発表まで(2024年25日更新)
- ・「向き合う」をやってみた結果(2024年9月26日更新)
- ・「向き合う」のためのミュージカル?!(2024年9月27日更新)
- ・自分の上に人を置かないこと(2024年9月28日更新)
- ・次はどうする?(2024年9月30日更新)
- ・断捨離と鷲とコロナ(2024年10月5日更新)
- ・「これやりたい」を表現してみる(2024年10月7日更新)
- ・まずは動いてみる(2024年10月9日更新)
- ・決めることで動くこと(2024年10月10日更新)
- ・3回目があるかないか(2024年10月24日更新)
・未来からのお知らせを信じてみる(2024年9月22日更新)
なぜかよくわからないのだけど、こんなことしてみようと思いついた!
その連続により、私の人生が大きく変化しているのは間違いない。そして、その思いついたことを実行してみる。私はこれを、「未来からのお知らせ」ってとらえています。この世の中が、時系列で進んでいると信じていると、なかなか受け入れられないことなのだけどね(^_-)。でも確実に未来の自分からお知らせがやってきている、それを信じられると、思わず行動してしまうのですよ。
でもね、少し前までの私は、まだまだそんなところには至ってなかったし、どっぷりと自分の暗闇の中を歩いていたのです。
そのきっかけは2021年12月22日の冬至の日、ある方の言葉を聞いたことでした。「最高の死に方をする未来の自分からお知らせを受け取る、それだけ信じてみると人生がかわるよ」簡単に言うとこんな感じの事。
人の人生は、実は何パターンもの人生設計がされていて、どれを選んでもよい。いわゆる最低から最高まであって、何を選んでもよいみたい。だったら、とりあえずどんなものかわからないけど、「最高!」を選んでおいたら良いじゃないの。ということ。
今一つ、わかったようなわからないような感じではあったけれど、その時の私は意外と素直に、それを受け入れてしまったのでした(^-^;
さて、そこから何が起こっていったか、これから(ここからは時系列で)書いていこうと思います。
・脱・優等生のススメ(2024年9月23日更新)
そんなわけで、年明けの2022年1月、何か突き動かされるように書いたのがこちら「脱・優等生のススメ」。しかも ”執筆” なんてかっこいいこといって、 ”~序章~” なんてつけちゃってね笑
文章もねー、まじめというか、それこそちゃんとしている感はまだまだ抜けないしね。そしてその後、この序章から更新されることもなく今に至っております(^-^;
宣言しちゃったからやらなくちゃ、とか、書きかけはいけない、とかあれこれ思いがちだけど、結局続きを書かないを選んだ私。
でも、この1つめを「書いたこと」が自分の人生を動かしていく一つのきっかけになったのは間違いなく、私は次の行動へ移るのでした。
・ちょっとここで、以前の私のプロフィール(2024年9月23日更新)
さて、こんな脱・優等生のススメなんて書こうと思った私は、以前はこんな感じでした。
一生懸命生きていたな~って思います。この経験があったから、今があるんだよな~としみじみ思います。
・書いた結果は、なんとミュージカル?!(2024年9月24日更新)
2024年1月のある日、私はあるものを目にしました。「素人だけどミュージカルに出るよ!」簡単に言えばそんな文言の文章。目を惹いたのは、その内容と、そしてそれを伝えているご本人の言葉。その方も、もちろんミュージカル経験などなく、それでも2024年11月に東京で2日間、観客動員数500人規模のミュージカルの舞台に立つよ!と。
そんなことある~???と言う気持ちと、その内容がちょっと私の琴線に触れてしまったこともあり、とりあえず話を聴きに東京へ行ってみよう!なんて軽い気持ちで行ってしまったのでした。
ちなみに・・・
2021年末に、私はセラピストとして、そのインストラクターとして約20年間所属していた協会と学会から身を引きました。お陰で、自分の中に他のものが流れ込む余白ができたのだと思います。そしてそれまでは、毎月のように東京出張に出かけていたこともあり、出向くこと自体はあまりハードルが高くなかったのだと思います。(現在名古屋在住)
そしていろいろタイミングが重なったのだと思います。
2月にミュージカルについての話を聴いた結果、なんとその流れで、出るつもりもなかったミュージカルのオーディションを受けることに(^-^;
いやいや、冷静に考えて!ミュージカルなんて、歌もダンスもお芝居もある、めっちゃ大変なやつじゃん!そのお稽古、今わかっているだけでも月に何度も通わなくちゃいけないし、何なら本番前は、10日間集中稽古もあるらしいよ。。。そんなの無理無理!!!私、名古屋に住んでるし!
そんな心の声がバンバン聞こえているにも関わらず、なぜかオーディションの申込みを始める私。
そのオーディションの申込みには、あれこれと必要なものがあったのですが、その中に、「今の自分を書き表す」文章の提出がありました。これは結構時間がかかりそうだし、やっぱりめんどくさいからやーめた!」と思いたかったのだけれど、これがそう、前述の「脱・優等生のススメ」をそのまま出してしまえばいいや~、となって、いとも簡単に申込が完了してしまったのでした笑
・オーディションから配役発表まで(2024年25日更新)
申込の結果、3月にオーディションを受け、結果は合格。合格といってもですね、おそらくオーディションを受けた全員が合格したのだと思います笑
そんなこんなで、4月から東京でのお稽古が開始します。現実がやってきます。まだ最初は月に2回、3回上京する程度。程度と言っても、毎回新幹線で日帰りするとなると、時々「私なにやってるんだろうな~(゜-゜)と思うことも。そして、内容そのものも素人可だったはずなのに、求められることはそうではなく(;^_^
でも、やっぱりやりたかったのだと思います。どんなに大変だとしても、どれだけ厳しい状況になろうとも、結局万障繰り合わせやり続けるのでした。そして7月、ひとつの転機がやってきます。
それはそのミュージカルの配役決め。そこでもまた、オーディションが行われることになり、また一段いろいろと向き合うものが増えました。それは、配役に対するものと、もう一つは家族とのこと。
配役については、泣いても笑っても、私一人ではなんとも決まらないことなのだけど、家族、特に夫とのことについては、がっつり私自身が向き合うところ。それを、嫌と言うほど見つめなおさないといけない状況がやってきました。
今までの私は、ほとんどすべて事後報告のスタイルで、このミュージカルについても、夫には何も言わずにここまでやってきていました。東京へ行くのも、以前から行っている出張だと思わせて笑
それでも、日帰りしながらやれている間はなんとかなっていました。でも、ここで配役が決まった暁には、週に2,3日、なんなら泊りがけでお稽古に参加しなくてはいけない状況が見えてきたのです。さすがにこれは、ちゃんと打ち明けなければ、この先はないよね~、と言うわけで、意を決して夫に話をするタイミングを見計らい始めたのでした。
・「向き合う」をやってみた結果(2024年9月26日更新)
その日はわりとすぐにやってきました。東京で一人暮らしをする娘の帰省に合わせ、その娘には事前に話をして援護射撃してもらおうと画策しておりました。ちらりと「ミュージカル」という言葉を持ち出してみたら、案の定「何のこと?」という夫の反応(^^;
今までね、なぜ事後報告だったかというと、この時の夫の表情が怖いわけですよ。何か夫の知らない新しいことを私がしようとすると、必ず「いい顔されない」と私自身が思っていたんですよね。だから、少しでもその顔を見る時間が少なくなるよう、ギリギリのタイミングでしか伝えない、と言う方法で乗り切っていたんです。
そして今回も、この時がやってきました。でも、今回はここでひるむわけにはいかない!!娘も応援してくれている!と言い聞かせ、一気に話を始めました。話すこと約10分。静かに(怖い顔して(^-^;))聞いていた夫が一言。
「なんでいつももっと早く教えてくれないの?」
あれあれ?怖く無いかも。
怒らないの?ダメって言わないの?嫌な気分じゃないの?
「ダメって言ったってやるんでしょ」
はい、その通りですm(__)m
「だったら、今後のスケジュール、ちゃんと早めに教えてよ」
あれあれあれあれ???
そんなにスムーズでよろしいんですか???
今まで私がひっそりこっそり自分であれこれ考えていたのに、全貌全てを話してしまったことで、むしろスムーズに物事が進みはじめる兆しが°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
そんなわけで、11月に迎えるミュージカル本番までのスケジュールを全部伝え、その都度ちゃんと話し合うことを約束し、今まで怖いと思っていた(思い込んでいた)夫の顔が、ちょっと柔らかくみえるようになったのでした。
これで晴れて気兼ねなくミュージカルのお稽古にも行ける!!なーんて気分が上がったのもつかの間、ここからが「向き合い」の本番になるとは、その時は思ってもみないのでありました笑
・「向き合う」のためのミュージカル?!(2024年9月27日更新)
さて、ここまでに「ミュージカル」という一言で済ませてきましたが、これがなかなかのものでして。
このミュージカルのことだけを取り上げても、もしかしたら毎日書き続けたって今年いっぱいかかりそうなぐらいネタは豊富であります笑
なので、こちらの詳細については、また時が来たら書きたいなと思いますが、今回の目的は「なぜ今ほたる座に至ったのか」の記録をすること。それにのっとり、必要な部分だけ掻い摘んでいこうと思います。
このミュージカル、プロの演出家、音楽、お芝居がベースとなって、素人が80%ぐらいの割合で舞台に立つというもの。その内容とコンセプトに心ひかれた私が、まかり間違って歌もダンスもお芝居もすることにチャレンジし、結果2日で1000人のお客様を動員するなかなか大きな舞台でありました。
私と同様に、素人ながらチャレンジを決めたメンバー16人と、プロの役者さん、ダンサーさんも一緒に格闘した半年間でしたが、本筋のお稽古以外に、まさに「自分と向き合う」ことが満載の期間でもありました。そんな日々を過ごした仲間との絆は、嫌でも深くなっていくものです。この真っ最中に、私はふと「このメンバーそれぞれの才能が目いっぱい発揮される場が作れたら、すごく楽しそう!」と思ったのでした。
それだけ一人一人が魅力的であり、それぞれの個性が最高に発揮されるために、今の状態から何をしていくのがよいのか、そんなことを見つめ、向き合うためにこのミュージカルがあったのだな~と思います。(これがなかなかヘビーで(^-^; これもまたの機会に(@^^)/~~~)
着物の着付講師、ヨガ講師、保育園の副園長にして舞い人、整体師、ロミロミセラピスト、占い師、会社の社長、会社員、などなど、とにかく様々なジャンルの方々が集まるこの場。それぞれが個性的で魅力的でそれらの力がさらに輝いたらどんなに素晴らしいことになるか・・そんなことを、あれこれ考えているうちに、
「みんなの最高のパフォーマンスを披露できる場所を作りたい!」
「そしてそれを来年の私の55歳の誕生日の日にする!」
に至り、
何も決まってはいないけれど、2023年5月21日、みんな体を空けておいてね~!と言い始めたのでした。
・自分の上に人を置かないこと(2024年9月28日更新)
さて、かな~り端折りますが、2022年11月12日、13日にミュージカル本番を迎えました。この本番2日間の中でも、いろいろと自分に向き合うことが多々おきました。
その中で何よりも強く思ったこと、それは「自分の上に人を置かない」ということでした。
この時点で54年生きていた私は、この人生で何度も「自分の上に人を置く」ことをして、かなりの打撃と、そして学びを得てきたな~と思います。気づいたら、誰かに従っているんです。自分自身ではなくて。
例えば、新卒で会社に入った時は、「自分の教育担当をしてれた上司」を、セラピスト時代はその「恩師」を、そしてもっともっと遡れば、「母親の観念」を、自分よりも上の存在としていたのでした。
そしてその結果、苦しくて苦しくて、でも我慢して、自分にいろいろと言い聞かせて、その状況を続けていました。でも、あるタイミングで、「あ、これは違う」と気づけた時、そこから抜けていくということを繰り返していました。
でもまたやってきたのです。本当の意味で「そこから抜けていなかった」私は、また形を変えて、同じ体験をすることになったわけです。
一つ、ここで付け加えておくと、ここに登場した上司や恩師や母親は、全く悪くありません(^_-)-☆あくまでも、私自身の問題であって、それを気づかせてくれる役割をしてくれた「登場人物」に過ぎません。
そして今回は、「ミュージカルを作り上げる上での演出家」を、またまた私の上に置いてしまったのでした。そのため、また自分が苦しい想いを味わうことになったわけです。
ただ、今までと違ったのは、「このような状況を俯瞰する」自分も居たということでした。
その結果、このミュージカルを終えたその日、周りは大成功で沸き立つ中、私は全くその中に入れずに自分の中に一旦潜るのでした(^-^;
・次はどうする?(2024年9月30日更新)
2024年11月14日月曜日。ミュージカルの本番を終えた次の日、一人東京を後に名古屋へ戻る中、あれこれと考えていました。
「私、本当は何がしたいのだろう・・・」
ミュージカル女優になりたかった?? いやいや、全くそんなことはなく(^^;
今でも協会や学会に属さず続けているセラピストや、その養成スクールは、いわば私のライフワークのようなもので、これを辞めることは無い。
でも、それだけでは無い、何かがあるような気がしてならず、自問自答を繰り返す中で出てきたのは、
「あ、家を片付けよう!」でした。
これ、次なる目標かと言えば、たぶんそうではないのだけれど、とりあえず、まず次にできること!であり、私は即採用することにしました笑
ちょっと説明すると、我が家は夫の両親とともに二世帯住宅であり、そこにサロンも併設している造り。その両親はと言えば、2019年11月に義父が他界し、その後認知症を患った義母は2021年9月から施設へ入所したため、現在は親世帯が住んでいた1階は誰も住んでいない状況。
この場所を、まずはきれいに整えるのがいいんじゃない?と、ふと思ったわけです。
そしたらね~、次々とアイデアが降ってくるんですよ。あ、この1階を整えたら、こんなことしたい、あんなことしたいということが。
その中の1つに、ミュージカルで出会った仲間たちと一緒にやる!と宣言していた
「みんなの最高のパフォーマンスを披露できる場所を作りたい!」
「そしてそれを来年の私の55歳の誕生日の日にする!」
が重なり、ひとまず私の次なるお楽しみを決めたのでした。
・断捨離と鷲とコロナ(2024年10月5日更新)
さて、まず最初に始めたのが、いわゆる「断捨離」です。我が家の1階1世帯分は、夫の両親の住んでいたままの状態であったため、まずはここを片付け始めました。
一言で言ってしまえば、このうちのまずは一部屋を片付けるのに、粗大ごみを乗用車3台分程、ゴミは可燃不燃合わせても70袋以上は捨てたと思います笑(写真はほんの一部)
一旦一部屋分が片付いてきた2022年12月27日、朝からちょっと喉の調子がおかしくなってきました。その状態の中、私に「鷲」の性質を教えてくれた方が現れたのです。これだけ話すと、意味が分からないのですが、「鷲」は、大空を飛び自由な性質であること、ちっちゃな箱に閉じ込められるのはとても苦手であり、「四方を囲まれたとしても、上に飛び立ち自由に上下左右動くことができる」ということなのです。
これはね、その人の持ち合わせているエネルギーを、動物に例えて伝えてくれる方からの、私の性質だったのでした。
またこちらについては、改めて書いていきたいのでここでは端折りますが、それを教えてもらったことにより、私自身は、実は自由に飛び回ることこそが自分の持ち合わせているものだと、ここで初めて認識するのでした。
そしてこの日の夕方から、私は熱がどんどんと上がり、やがて39℃を超える高熱。。。コロナ初罹患でありました(^^;
・「これやりたい」を表現してみる(2024年10月7日更新)
高熱が続くこと3日間、やっと熱が下がってきたかと思えば、咳が止まらない状況が2週間続いた2023年1月9日、朝突然思いついたことがありました。
それは「これやりたい」の具体的な姿。
その時の記事がこちら。
題して「【大人の本気の文化祭(仮)】やります」。
この日は奇しくも娘の成人式の日であり、それが終わりほっとした夕方、訪ねてきてくれた友人に向けて想いのたけを話し、そして文章に残しました。本当は我が家の1階を使って何かしようと思っていたのに、自分で話している間に、「あ、ステージもつくりたい!」となり、それじゃあ我が家では狭すぎる、という想いに至って、上の記事となったのでした。
これが、後の「ハピネスバザール」。まだこの時点では日にちだけが決まっている状態。それでもこの日この時、何かに残さなければ!と強く思った結果が、次につながるのでした。
・まずは動いてみる(2024年10月9日更新)
思い立った日2024年1月9日。実行すると決めた日2024年5月21日。当日までの残り時間約130日。さて、どこから始めたらよいものか。
と言うわけで、まずは場所探しから始まりました。いくつかの候補を経て、結局決まった場所は、なんとも奇遇にも、いろいろな方とのご縁をつないでくれる場所でした。
開催を決めて、具体的に動き出して、2月に書いた記事がこちら。
そこから動くこと4か月。初めて尽くしで、途中心折れそうになることも多々ありつつも、お陰様で「ハピネスバザールBEGIN」を開催するに至りました。(こちらも、またの機会に詳細を書こうと思います。)
当日を終えて書いた記事がこちら。
まずは動いた結果、4か月後にはそれが形になったのでした。
・決めることで動くこと(2024年10月10日更新)
2023年5月21日に開催した「ハピネスバザールBEGIN」。この日に決めていたことは、次回開催日を9月17日にすることでした。4か月弱での開催です。そうすることで、止まらないで動き続けるという選択をしたわけです。
その時の記事がこちら。
でも、この2回目と言うのが、実はとてもとても正直しんどいものでした。
1回目は、ビギナーズラックも勢いもあり、沢山の方々の助けがあって出来上がったのですが、2回目の開催は、思っていた以上に難航したのでした。心が折れて「もうや~めた!」と言えたらどんなに楽だろう、と何度も思いました。
でも、こんな時に、必ず辞めない方向に進む何かの後押しがくるのです。この時は、1回目開催時に来てくださったお客様何名かの方から、次回は自分も出店したいという連絡を受けたこと。そして、キッチンカーで参加出店してくださる方が早々に決まっていったこと。これだけあれば、もう辞める理由がなくなり、前に進むしかなくなっていったのでした( ´艸`)
・3回目があるかないか(2024年10月24日更新)
さて、このハピネスバザール、結果的には1回目をしのぐ多くの出店者さんとお客様にお越しいただき、幕を閉じたのでした。
こうなると、ありがたいことに「3回目もやるよね♪」というお声があるものです。
この時点で3回目を2024年5月19日と決めました。
(ハピネスバザールについては、ハピネスバザールInstagram公式アカウントからご覧ください(^_-)-☆。こちらには、1回目から3回目までの当日の様子や、出店者さん、ステージ出演者さんのご紹介があります。)
この3回目の準備期間、2023年9月から2024年5月までの間、やはり私自身にとっての転機となることがたくさんありました。もしも1回でやめていたら、2回でやめていたら、決してできなかった体験や考える機会などなど。
ここでも、3回目をやると決めたことが、それらの経験を私にくれたのでした。そしてそれが今のほたる座へと繋がっていくのです。
(続きはまた♪~)
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